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半信半疑で読む 子育てアドバイス <第十回 前編>

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半信半疑で読む 子育てアドバイス <第十回 前編>

半信半疑で読む 子育てアドバイス <第十回 前編>

2020/10/02

第十回 言葉かけについて(言語環境)

 

最終回にあたって、二つのテーマを書かせていただきます。

 

A.勉強の動機付けについて

今回は、小学校入学以降のテーマです。


「なんで勉強せんといかんと」
「なんで学校に行かんといかんと」

 

上記のような質問が、ある時、子どもの口から聞こえてくるかもしれません。その時、あなたはどのようにこたえられるでしょうか?


特別に大きな原因(いじめ等)があるわけでもなく、単に子どもの素朴な疑問・あるいは素朴な勉強嫌いとして「なんで勉強せんといかんと」「なんで学校いかないかんと」がでてきた場合、その疑問を良い機会として、なぜ学校に行き、なぜ勉強をしなければいけないのかを真正面から、親は話すべきだと私は考えています。

 

「そんな事、考えなくてもいいの。子どもは勉強するのが仕事よ。勉強するのは当たり前のことなの。黙って勉強してればそれでいいの。大きくなったらわかるわよ」よくありがちな対応ですが、とてももったいないと私は思います。「〇〇君、〇〇ちゃんが立派な人になるためだよ。」小学校二年生位までなら、このような答え方で良いと思います。


しかし、小学校三年生ぐらいになってくれば、次のように答えることをおすすめします。もし、質問が出なければ、機会をとらえて親の方から、なぜ勉強すべきかを話すことをおすすめします。

 

「いつか、〇〇が一人になっても、立派に生きていく力をつけるためだよ。お父さんもお母さんもやがて年を取って働けなくなる。悲しいけれど病気や事故で死んでしまうかもしれない。そのようになっても〇〇が立派に一人で生きていってほしい。その為に学校でしっかり勉強することが必要だよ」その様に答えられてはいかがでしょうか。

 

「少し深刻すぎませんか」「子どもにつまらない不安を与えてしまいそうです」
「何か夢がないようにきこえます」「夢を与える事のほうがもっと大切だと思います」「暗いですね」「脅しですか」etc


さまざまな否定的な反応が返ってきそうです。ただ、私は確信しているのですが、親が子どもにすべき教育の原点は、まさにここにこそあるのではないかと思うのです。

「もし、自分(親)が何らかの理由でいなくなったとしても、この子が一人で生きていけるために、親は最善の備えをする。その一環として学校教育を利用させていただく」その様に考えてみてはいかがでしょうか?いつまでも自分が生きていることを前提として考えるのではなく、自分がいなくなったことを想定して子育てをするということです。


私は「人生で大切なことは小学校入学を機に話はじめる」で書いているように、親の死については折に触れ、子どもの成長にあわせてあえて避けずに話してきました。暗い話題にならないように、その辺りは配慮しながら話してきました。そして、この考えは決して間違いではないと確認する出来事も私の人生におきました。それは、一番上の子が高校三年生・二番目が高校一年生・一番下の子が小学6年生の時に起きました。

 

その年、私はすい臓癌(ステージ4A)の手術を受けました。五年生存率4%という段階の厳しい手術でした。手術時間は13時間におよぶ大きな手術でした。今こうして生きていることは奇跡的にその4%に滑り込み生きながらえたということになります。

 

その時に、親の死についてそれまで語ってきたことが間違いではなかったと感じとることが出来ました。何故なら、子ども達の内の上二人に関しては、手術時点で自分たちの生きていく方向性(将来の職業)を決めていましたし、一番下の子も術後数年内に、方向性を決めていきました。そして、子ども達が望んだ方向性は、それぞれの適性にあうものでした。再発の不安を抱え精神的に追い詰められていた状況の私にとりましては、この点は、私にとっても、大変おおきな安心材料でした。慰めでした。

 

「親が死んでいなくなっても一人で良い人生を生きぬいていく力を獲得するために勉強するのだよ」


話す時期を踏まえて、親は、ひるまず、気をつかいすぎず、真正面からこのメッセージを伝えるべきだと私は思います。
(これは特にお父さんの役割ではないかと思います。)

現代は「死」自体が日常から隠される傾向にある時代です。


現在68歳であるわたしの育った時代は、私が生まれた時点ですでにその傾向は始まっていました。しかしそれでも、一緒に住んでいた祖母が家で亡くなり、家で葬式が行われました。よく遊びに行っていた友達の家のおばあちゃんから時々お菓子をもらっていましたが、ある日、いつものように遊びに行きましたら「おばあちゃんが昨日亡くなったので今日は遊べない」と言われ、トボトボと家に帰るというような事もおぼえています。


「死」が今よりもずっと身近に感じられる社会でした。日本人の平均寿命もこの60年余りで20歳あまりも伸びました。しかも、亡くなる多くの方々は、かなりの期間、家を離れ、老人施設での暮らしを経て施設や病院でひっそりとなくなります。


死にゆく家族に日々接し、世話をする重荷・衰えていく家族の様子をうかがう辛さ等から解放されている反面、生命の重みも薄れているような気もします。

「親がいなくなっても、子どもが一人で生きていくための力を獲得するために教育する」このことは人間に限られたことではなく、哺乳動物全般に本能的にみられることです。自分の身を守る方法、食物を獲得する方法を親は子に教えます。そうして、一人で生きていく準備をしたのちに、独り立ちをうながします。本能的だと思われますが、肉食動物の多くは、子どもを追い出すような激しい形で独り立ちをうながします。

 

「親がいなくなり、一人になっても自分らしい良い人生を生きていくために、その準備として勉強することが必要だ」

 

というメッセージは、本来は、当たり前のメッセージです。親は子ども達にこの当たり前のメッセージを伝えることが必要です。このメッセージを受け取っている子には、親がよく口にする言葉、そのわりにあまりにも効果が期待できない言葉、すなわち

 

「勉強しなさい」

 

は必要のない言葉になります。

 

繰り返しになりますが、時期を見て、賢く冷静に、このメッセージをきちんと子ども達に伝える努力が必要です。

 

第十回言葉かけについて(言語環境)後編 につづく

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