第8回
子どもの人生においてあなたが大切だと考えることは、子どもの小学校入学を機に話はじめましょう。
タイトルの背景にある私の考えをはじめにお話しさせていただきます。
「わたしたち現代を生きる親子は、たとえ親子仲がとてもよく、また、
たくさんの時間を共に過ごしていたとしても、ひとりの親(人間)として、
子どもに伝えておきたいおもい(人生観・死生観・結婚観・職業観等、いわゆる堅い話・大事な話)を
話す機会がないままに、時は流れ、別れの時を迎える事になるのではないか」と思うのです。
特に多くの父親は何も話せないままに、いつの間にか子ども達は成長していく。
たくさんの時間があったはずなのに、大切な話をする前に別れの時を迎えることになる。
それはそれでよいという考えもあるかもしれません。親の背中をみて育ってくれればよいという考えです。
しかし、親としてもっと話しておくべきだったとあとあと後悔する人の方が実際には多いのではないかと思います。
また、こどもの立場からしても、本当は親が何を考えながら生きていたのか話してほしかった。
聞いておきたかったという場合もあるように思います。
また、考えてみれば、それこそが親が行うべき最重要の教育のはずではないかと思うのです。
朝、目を覚ますとテレビがついている。
大体どこの家庭においても見られる朝の光景です。
あわただしくそれぞれがそれぞれの活動場所にでかけていく。
そして、夕方にそれぞれが帰宅する。
帰宅と共に、再びテレビは誰が見るでもなくつけっぱなしになっている。
同じ部屋にいたとしても、両親はそれぞれが自分のスマホを眺めている。
小学生もやがてゲームやスマホをいじり始めます。
中学生なればほとんど話をしなくなる。
子ども部屋にとじこもる。
子どもがある程度成長し、大切な難しい話も理解できる歳になってきた時、そうした中で、
親は、自分の人生観・職業観・恋愛観等・大事な話を話すことが出来るかというと、おそらく全く無理です。(手遅れ?)
出来るとしても、その時には、相当の勇気を必要とする雰囲気が出来上がっています。
親子間に特別に問題がないという場合であっても、話せる雰囲気はありません。
「・・・うざい・・・」「・・・かったるい・・・」「・・・きもい・・」
こうした冷めた言葉が子どもからあからさまに返ってくる可能性さえあります。
こうした冷めた言葉を子どもから直接きくことがなくても、聞いているのか聞いていないのかわからない。
視線をあわせてはくれない可能性があります。
本当は一番大切なことなのに、どのように伝えたらよいのかもどかしい限りになってしまいます。
私がこの様に考えるようになった背景としては、私自身と自分の父親との関係がやはりそうだったと思うからです。
わたしと父との関係は、けっして悪いものではありませんでした。
母親が他界した後は、我が家に同居し、共に飲み食いし、
たまに一緒にパチンコに行ったりする様な普通の親子でした。
しかし、私たちの場合も、私自身の思春期に一時父親との関係が崩れた時期があり、
その後は、互いに硬い話は避け続けていたように思います。そして、そのまま別れの時がやってきました。
父が他界して30年あまりになりますが、父も自分が何を考え、何を感じながら生きてきたのか、
何か伝えたかったこともあったはずです。
今となっては硬い話をずっと避け続けていた自分を申し訳なかったという自責の念しかありません。
その自責の念が「子どもの人生において、あなたが大切だと思うことは、子どもの小学校入学を機に話はじめましょう」をおすすめする背景です。
後編につづく