第5回 あそびについて<前編>につづきます。
子ども達が遊んでいる砂場に近づくと「ああでもない・・こうでもない・・・こうしてみたら・・・いやこうしたほうがいいちゃない・・」
そうした声が聞こえてきます。大人の目から見れば、「ああ、子ども達が遊んでいる」というごくありふれた光景ですが、
大人社会で行われている〇〇開発会議や〇〇推進会議、〇〇促進会議に近い話し合いがなされていると考えるとこれも大人社会の縮図です。
知性・情緒・社会性など様々な訓練が起きていると考えてよいと思います。そう考えるとあそびってすごいことなのだと思います。
無心になって遊んでいる子どもの顔は皆真剣です。おそらく脳をフル回転させているのだと思われます。
少し話が大きくなってしまいますが、令和の時代というのは、これまで人類が経験できなかったほどの大きな社会変動の時代なのかもしれません。
AI(人工知能)の普及により仕事のあり方をはじめとして、様々な分野で人間社会の在り方自体が大きく変わっていく時代だと言われます。
この大変化の時代にあって、高齢者である私には、孫世代・ひ孫世代の子ども達にはいかなるアドバイスも出来ないような気がしてきます。
ただ、そんな中でも自信をもってこれだけは言えることがあるとすれば、それは、
「いっぱい遊ぶといいよ。石ころ一つで色んな遊びを考え出す力をみんなは持っている。遊びの天才。
だからたくさん遊んで力を磨くといいよ。
AI時代にあっても、きっと幸せに生きていけると思うよ。」
という一言です。
子ども達の能力を引き出す遊びの時間をたっぷり与えましょう。お母さん・お父さんも一緒にいっぱい遊びましょう。
【提案】
お休みの日に、テーマパークや遊園地・大型商業施設に子どもを連れて遊びに行くのも良いと思いますが、
たまには何もない広場などで時間を気にすることなく親子で遊んでみることをお勧めします。
今宿には砂浜もあります。
そこに落ちている石ころや棒切れで何が出来るか、子どもと考えながらすごしてみられてはいかがでしょう。
しばらくは何も思いつかないかもしれませんが、子ども時代を思い出しながら遊んでみましょう。
どうしても思いつかないなら、浜辺でなら、砂山つくりや石投げ、お絵かき、すもう、砂ダンゴ作りから初めてみましょう。
きっとおもいのほか良い時間になるような気がします。
「お母さんと遊んだ」
「お父さんと遊んだ」
という満足感は、様々な遊戯施設巡りよりも大きいかもしれません。
私は今年で67歳になりましたが、60年近くも前に父親がすもうを取ってくれていたことはよく覚えています。
何処かに連れて行ってもらったという体験も貴重ですが、
「お母さんが遊んでくれた」「お父さんが遊んでくれた」という感覚のほうが、より鮮明に記憶されるもののように思います。
次回
第6回 あそぶこと(2) につづきます