第4回
平凡でも幸せな一日一日の積み重ね
「将来、この子は幸せに生きていけるだろうか?」
漠然とした不安を感じながら生きている。
不安の強弱はともかくとして、子どもの将来に対する不安は、親であれば誰もが感じていることです。
その意味で、子育ては様々な不安との闘いでもあります。
自分のことだけでなく、家族、とりわけ子どもの将来を考え、不安と闘っていかなければならない。
それが母親という生きものなのかもしれません。
しかし、そうした不安を持つこと自体は決して悪いことではありません。
不安は、子どもに対する愛情の裏返しです。
愛がなければ不安を感じることもありません。
そして、愛がなければ子どもは育ちません。
ただ、不安を感じながら子育てに励むお母さんにお願いしたいことが一つあります。
それは、「乳幼児期は、キリギリスお母さんでいきましょう」ということです。
ここでいうキリギリスとは、イソップ物語の「アリとキリギリス」のキリギリスです。
今を楽しみ、今日を喜ぶ生き方です。
将来の不安を内に秘めつつも、今を喜び、今日一日の平凡な幸せをしっかり喜ぶ親であってほしいと思います。
なぜなら、平凡でも幸せな一日一日の積み重ねが、
子ども達の生きる力を成長させていくからです。
ここからは、少し堅苦しい話になりますがお付き合いください。
保育用語に愛着形成という言葉があります。
特定の大人、主に母親と子どもの間の強い愛情と信頼関係が形成されることを言います。
この愛着形成は乳幼児期の前半、目安として1歳半くらいまでにしっかり形成される必要があるといわれます。
この愛着形成がなされることにより、子どもは愛着の対象である存在(主に母親)を安全基地として位置づけ、
その安全基地を中心に少しずつ活動範囲を広げ、社会性を獲得していくといわれます。
残念ながらお名前を忘れてしまいましたが、母親と子供の愛着形成とその後の子どもの社会性の成長を
航空母艦(空母)と戦闘機の関係で表現している教育学者がおられました。
航空母艦も戦闘機も戦争の道具ですから、教育を考えるたとえにはふさわしくないかもしれませんが、
安全基地を中心として、少しずつ行動半径をひろげ親離れをしていく子ども達の姿を考えると、
的を得た表現だと思いますので、あえて使用させていただきます。
戦闘機にとって航空母艦が安全基地であるように、子どもたちにとって母親は安全基地です。
この航空母艦である母親のもとから、毎朝、小さな戦闘機である子どもたちは認定こども園・保育園・幼稚園などにそれぞれ飛び立ちます。
年齢が進むにつれ小学校や中学校へと活動の場を拡げていきます。登園した子ども達が、
楽しく仲良く過ごせるように担任はじめ職員は努力しますが、様々なドラマが起きるのが人間の社会です。
自我のぶつかりあいがあり、トラブルがあり、
喧嘩がおこり、物の取り合い、友達の取り合いがあり、
時として権力闘争みたいな事も起きます。
グループごとの対立もあり、嫉妬や妬みもあります。
裏切られたような思いを持つこともあります。みじめな思いをすることもあります。
なんとなく独りぼっちの気持ちを味わう場面もあるかもしれません。
「〇〇ちゃんあそぼ~!」に対する返事が・・・
「いや~」というシビアな返事である場合もあります。
あってはいけないことですが、いじめの芽みたいなこともあります。
大好きな先生から誤解されることだってあるかもしれません。
(保育教諭も間違いをする人間の一人です。私自身も、あの時の対応はいけなかったと思うことがいくつかあります。
数十年たっても、あの時は自分が悪かったと思いに悩むことがあります。)
大人の社会でも起きていることは、規模は小さくても、同じような事が子どもの社会でも起きていると考えるのが自然です。
身体だけでなく、こころのエネルギーをすりへらし、時に傷を受けて小さな戦闘機は航空母艦であるお母さんのもとに帰ってきます。
身体とこころのエネルギーを補充し、傷をいやし小さな戦闘機の整備をするのは、航空母艦であるお母さんの役割です。
第4回
平凡でも幸せな一日一日の積み重ね<後編>につづく